爪の灯

元スーツ販売員、いま事務職。スーツを売る側、利用する側の両方が備わり最強に見える!

魚を飼う事と、犬・猫を飼う事の違い。自分よりも先に死ぬ命を飼育するという事。

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 結論から書くと、生態系に対する強い意識の有無だと思う。

 

 犬も猫も飼育したことがあるが、今やっているアクアリウムほど生態系を意識したことはなかった。これほど生きる・死ぬに関して意識し、生き物を飼育したことはない。なぜなら、水槽では毎日必ず生き死にが発生しているからだ。

 

 アクアリウムを初めてしばらくはペット感覚で魚を飼育しているという意識が強かったが、半年くらいでその意識は薄れ、代わりに生態系を維持しているという意識が強くなった。よく「水を育てろ」と言われるが、なるほどと。魚、水草、微生物、そして水。混然一体の「水槽」自体の管理が面白い。メインで飼育しているのは何かと問われたら確実に魚と回答するのだが、その魚を上手く飼育するためには環境を整える事が不可欠。環境とは、魚にとって毒となるモノを分解する微生物や、微生物が分解したものを吸収する上に魚をストレスから守る隠れ家にもなる水草、そしてそれらが健康に活動できる温度、ph、溶け込んでいる酸素の量等の条件が整った水。なるほど。犬や猫を飼育するときに、例えば夏の暑い日の室温を気にする事は有っても、犬や猫の周囲の空気の酸素量などを気にしたことはなかった。全般の管理がうまく回っている結果、証明として魚が元気に泳いでいる。なるほど、これは楽しい。

 

 水槽の管理者は、その水槽環境における「神」であるという話もある。管理者が善良な管理を行えば水槽内の魚、微生物、水草が健康であるし、逆に良くない管理を行えば水槽の中の生き物は死んでしまう。お金の話になるが、アクアリウムを始めた時は、我が家の水槽だと一番高い魚でペア2,500円くらい(ジャーマンラミレジィのペア)なのだが、これを維持する水槽ろ過装置等の設備一式で2万円超。まぁこれは以前書いた記事の通り、大人の趣味として始めたので最初から十分なコストをかけて余裕のあるスペックで運用しようというコンセプトで進めたのでそういう意味でけっこう高い金額なのだが、始めたばかりの時は魚の金額に対して周辺設備の金額とのバランスが悪いなぁと思っていたが、今はそう思わない。なぜなら、魚の維持管理にかけた費用という認識から、生態系の維持管理にかけた費用という感じに考え方が変わている為、安いとまでは思わないがまぁこんなもんだろうくらいの感覚になっている。魚だけでなく水草や微生物、水も飼育しているという認識になったからだ。

 

 生死観もかわった。 始めたばかりの時は毎日コケ取り要員のミナミヌマエビの数すら数えるくらい大切にしていたのだが、最近は居るか居ないかくらいの確認に収まっている。環境に大きな変化が無いかどうかを確認する感じ。命の扱いが雑になったという事では無い。我が家の水槽は混泳水槽であり、ミナミヌマエビと一緒に魚が泳いでいる。で、ミナミヌマエビは捕食される側。そのため、たまに魚に食べられているのだ! 最初は魚に怒っていたのだが、よく考えると、水槽で何を飼育するかは神である管理者たる私が決めている事であり、魚は捕食する側の動きを自然と行い、ミナミヌマエビは捕食される側の動きを自然と行っているだけという事に気が付いた。捕食される側も捕食される側なりに程良く抱卵し、適度に増えている。微生物も含めると、私の水槽では毎日生きる、死ぬの活動が行われている。食物連鎖だ。自分の不手際で生体を死なせてしまう分には悲しいし、後悔もあるが、誰かに食べられて、糧として次につながる分にはこれもまた環境を管理する事なのだと思うようになった。餌やり一つとってもそうで、間違った餌やりで魚がダメージを受けるにしても、ダイレクトにダメージを受けるのではなく、水が汚れ、微生物で処理できなくなった結果として魚にダメージが入る。要するに環境自体にダメージが入るという事だ。犬や猫を飼育していた時には無かった感覚だ。

 

 「自分よりも先に死ぬと分かっているものをペットにして可愛がるという事が理解できない」という考えさせられる問いがあった。これに対して自分なりの答えはこうだ。飼育している生き物から「癒し・気づき・驚き・失ったときの悲しさ」をもらう。その代わり、その生き物が死ぬまで十全な管理を行い、快適な生活を過ごせることを約束する。という心構えで飼育をしている。これは最後まで面倒を見るという事。先に自分が死なないという約束も含んだものである。