爪の灯

元スーツ販売員が、ファッショナブルに節約を楽しむ系のブログです。コスパとは、商品価格だけで決まるものではない!

ぼーっとするという事が理解できないからゲームをやるのです。

 「何も考えない」という事がわからない。理解できない。ぼーっとするという事が何も考えない状況だというのなら、私にはぼーっとするという行為が出来ない。これはもう直感的にできない。おそらく、訓練していないからだと思う。泳げない人が居るのと同じ事なのだと思う。

 

 というわけで常に何かを考えている。移動中も、お風呂入っているときも、眠る直前まで何かを考えている。たまに眠りが浅い日に、その浅い眠りの間に何か考えていた内容を覚えているのだから、隙あらば思考しているのだと思う。

 

 考えることをやめることが出来ない以上、何を考えるかが重要なのだが、なんだかんだで仕事のウエイトが大きい為だいたい仕事の事を考えている。で、基本的に仕事は辛いものなので(だから可能な限り効率化し、先に手を打つという事をやり続けてストレス要素を全力で排除している)思考時間が健やかなるものかといわれると、ノイローゼへと続く道ではないかというのが今の思い。

 

 だからゲームをするのだ。なるべくたくさん考えることがおおいタイトル。ゲームというのは基本的に娯楽であるため、基本姿勢としてプレイヤーを楽しませるというものである。ゆえにゲームの事を考えているときは「楽しい」時間であると分類できる。考えることを止められないのならば、考える内容をチェンジしてしまおうという発想だ。

 

 ビジネス書というか、自己啓発本というか、この手の本にそこそこの頻度で「瞑想」という単語が出てくる事がよく理解できる。「何も考えない」という事が出来るようになる訓練が必要であるという事なのかと思う。オン・オフのスイッチがあるという事は「脳を休ませる」という事をコントロールできるという事なのだ。オン・オフのスイッチが作れなくても、最低限、他のチャンネルへの切り替えスイッチが無いと、ノイローゼになってしまう。休息は重要なのだ。

 

 だから私はゲームをするのです。(いいわけ)